『わたしたちは無痛恋愛がしたい 〜鍵垢女子と星屑男子とフェミおじさん〜』(瀧波ゆかり)

「ここ10年の最大の成果は」「私が言葉を手に入れたことです」

(『わたしたちは無痛恋愛がしたい 〜鍵垢女子と星屑男子とフェミおじさん〜』第11話より)

 

星置みなみ、23才、東京の会社員。パッとしない仕事とパッとしない恋愛(夜だけ現れる男、恵比寿千歳と関係を持っており、みなみ自身もそうした日々を「普通にしんどい」と言っている)に追われる生活を送っている。時折友人の栗山由仁と飲みながら、互いの近況を報告していく会話劇のような場面と、みなみの鍵垢から引かれるモノローグが交錯しながら話が進んでいく。

 

 人数合わせで呼ばれた飲み会のつまらなさ、男性からの悪意のない圧力への不満、日々直面するやるせなさをみなみは鍵垢(フォロワーしか見られないアカウント、みなみの場合は限られた4人のフォロワーのみに向けて発信される)でツイートする。「思ったことは吐き出したいけど、知らん人にジャッジされたくないから」みなみは自身の気持ちをそこに書く。

 由仁は数少ないフォロワーの一人で、「みなみの文章が好き」、もっと広く発信すれば良いのに、とみなみに言ったこともある。実際、10年後にはみなみは文筆業で食べていけるようになっており、半ば予言のようなこのセリフから由仁がよくみなみを観察している、見守っていることがわかる。(こうした細やかさが仇になり、後に由仁はみなみとの友人関係に疲れる)

 

みなみ、由仁、そして元ジュニアアイドルで婚マスのうずらちゃん(2人の友人でインフルエンサー)。20代の3人を中心に話は進み、第10話からは3人の10年後が描かれる。冒頭に引用させていただいた作中の言葉のとおり、10年後のみなみは

「ささいな違和感やモヤモヤを  解きほぐして言語化していくことで

私は少しずつ「それってどうなの?」と言える私になったのだ」(第11話より)となった。

 

 ここで対象的なのが、「キラキラ人生担当」(第10話より)のうずらちゃんだ。

 タワマン、インフルエンサー、青年実業家と結婚、と「キラキラ」な結婚生活を送るうずらちゃんだったが、彼女もまた、第15話(「私の怒りをジャッジするな」)にて「吐き出し用の鍵アカ」を持っていることが判明する。

 終始育児と鍵アカのつぶやきが交互に入交りながら進むこの話では、うずらの本心は「鍵アカ」だけに吐き出される。ワンオペ家事育児に疲れ果てたうずらにとって鍵アカは本心をぶちまけられる場所なのだ。吐き出されたうずらの怒りは誰にも見られない場所で埋もれていく。

 最新話ではうずらの夫サイドがフォーカスされており、これもまたおもしろい。うずらの夫清隆のモノローグ「別に知りたくないんだよ いちいちそんなこと……」(第18話「男の度量」)にすべてが凝縮されている。タイトルから、恋愛色が強いのかと思えば以外にもそうじゃない。結婚、恋愛、仕事、ふとした生活の中で直面する痛みに向き合いながら、懸命に生きていく女の子たちの話である。(もうみなみ、由仁、うずらうずらの子の4人で暮らしたら幸せになるのでは……と思わなくもないくらい、10年後のみんながカフェにあつまるシーン(第17話「言いたい、言えない」)にはほっこりした)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『谷崎マンガ変態アンソロジー』

『谷崎マンガ変態アンソロジー』(中公文庫)を読んだ。2016年に生誕130年を記念して刊行されてた『谷崎万華鏡』を再編集し文庫化したもの。榎本俊二今日マチ子しりあがり寿中村明日美子古屋兎丸山口晃ら豪華作家人による谷崎の作品をテーマにした作品が収められている。

掲載されているのは「青塚氏の話」「痴人の愛」「夢の浮橋」「瘋癲老人日記」「陰影礼賛」「続続羅洞先生」「猿が人間になった話」「少年」「颷風」「台所太平記」で晩年にいたるまでの様々な作品が描かれている。(久世番子「谷崎ガールズ」だけは導入作品のような感じで谷崎の女性観を紹介するものになっている)

 

映画やドラマ、舞台とこれまで様々にメディアミックスされてきた谷崎の作品があらためて現代のマンガに描かれなおされるとあって小説に忠実なものもあればまったく新しい作品にリライトされているような印象を受けるものあり、アンソロジーという名前のごとく作家ごとに異なる読後感が楽しい。

 

特に楽しかったのは「谷崎ガールズ」と「台所太平記」。

最初の結婚から小田原事件、丁未子との短い結婚生活、最後の結婚、晩年の義理の息子の嫁、千萬子への手紙など女性関係をガイダンスで廻れるのが「谷崎ガールズ」。短いページで女性観がたどれて楽しい。「丁未子さん 宮崎あおいさん似でかわいい~」には激しく同感。当時のカメラとお化粧でこれくらいかわいく映るんだから相当な美人だったんだろうなあと妄想してしまう。最初に奥様千代さんが「良妻賢母」タイプだったから、谷崎の気に召さなかった。というのに対しても「どこが気に入らないの!?」という突っ込みがおもしろい。今でも相当にスキャンダラスな……というか、正直ひいてしまうような内容で(「細君譲渡事件」という名前からしていけすかない)これは相当なバッシングをくらったろうなあと思う。

 

「台所太平記」は読めば原作が読みたくなる。女中さんという文化自体が今では遠い文化ですが、女性の働く場所がなくそれが当たり前だった時代の家主と女中の交流。戦前、戦中から戦後にかけて数人の女中をとおして生活が描かれているので、戦後の社会のうつりかわり、封建社会が変わっていく様を見るうえでの文化史としても面白い。結婚が今より重視されていた時代、女性は本当大変だったな……とつくづく思う。料理が当然のようにできて、裁縫も当然のようにできて、子育てが上手で、気立てもよくて、金勘定もできて、夫を立てて、見目もいいのが望ましいなんて、無理難題もいいところだ。すべてできて当たり前で減点方式にもみえる社会の眼は本当に厳しかったよなと思ってしまう。そんななかで、千倉家の主人とそこに長年つかえる女中「初」との結婚をめぐる会話は幾分のんびりしていて好きだ。

初は見目はけしてよくないと書かれていて、ただ料理上手、清潔感、スタイルが良い、また谷崎にとっては重大なことだが足裏がつねにキレイと美点が多いため、家主がとても好きだった女中のひとり。40歳近くなり縁談がないことを不安に思ったある日、

「先生、私でもお嫁に行けるでせうか」

と初は思い余って尋ねる。それに対し千倉家の主人は

「ああ行けるともさ、きつと行けるから心配することなんかないよ」

と心から思って答える。

ここで嘘でもよいから言った、とかでなくて「何も気休めのつもりではありません」

「世間の奴等は眼が利かな過ぎる」というところがなんとも谷崎らしくて良い。半ば長年面倒を見てきた娘を見る親のような気持ちなのかなあと思わなくもない。

筆?のようなやわらかいタッチでえがかれた場面が陽だまりのようなあたたかさでもって伝わってきて、おだやかな時間が感じられる。

 

お正月にあらためてゆっくり作品を読み返したくなった。

 

 

 

 

『違国日記』(ヤマシタトモコ)

日記を書くというのはひどく孤独で危うい行為だと思う。土佐日記和泉式部日記、断腸亭日乗、戦後日記、日本文学だけを取り上げてみても、日記に仮託された(あるいはそこから生まれた)作品は数多くある。半ばいつか誰かに読まれることを期待して――とまでは言わないし、いささか強引な話だとはわかっているのだが、自分が読むためだけに書かれた日記というのは、傷一つない貝殻を海で探すくらい見つけるのが難しいものではないかと思う。『違国日記』(ヤマシタトモコ)を読みながらそんなことを思った。


 「日記は 今書きたいことを書けばいい 書きたくないことは書かなくていい 

本当のことを書く必要はない」(『違国日記』1巻)

 槙生の言う「本当のこと」は、交通事故で両親を亡くした姪・朝を包む「ぽつーんとした」孤独だ。夕焼けが差し込む部屋の中、ペンを持ったまま固まる朝に槙生はそう言葉をかける。

 

「……日記なのに?」

「日記なのに 別に誰にも怒られないし」(『違国日記』1巻)

 

 槙生の言葉を受け朝は不思議そうに尋ね返す。槙生の言葉には、言外に「日記」は自分のためだけに書かれるものだ、という意味がこめられているようにも読める。小説家の槙生にとって書くことは「書かない人のほうが知らないんだね 物語なんて 嘘だってこと 食べたことない ごちそうみたいに思ってる」(『違国日記』6巻)でもある。

 日記、と付けられたタイトルのとおり作中にはいくつかの日記が登場する。その中のひとつで、この朝の日記と対になるものが、恐らく朝の母、実里の遺した日記だ。遺品整理の際、槙生が見つけ朝にわたすタイミングを見計らいながら保管していたものだ。(行き違いによりその日記を隠しているように思ってしまった朝は母の日記を盗み読んでしまう。)母の日記を読むことは、朝にとって大きな穴の底を覗き込むような作業だったという。自身の名前の由来、朝への思いがつづられたそれには「朝 お母さんはあなたが大好きです」と書かれていた。朝はそれを読みながらひとり「こんなの 嘘かもしんない わかんないじゃん なんでも書けるもん わかんないじゃん わかんないじゃん」(『違国日記』5巻)と呟く。

 槙生はいくらでも「物語」をつくりだすことができる。だが、ここでは彼女のほしがる「嘘」を与えない。「あなたのありようを見ていると あなたは愛されて育ったのだろうなとわたしは思う」(『違国日記』5巻)と語りかけながらも、日記に書かれた母の気持ちを代弁する真似はしない。その夜、朝はようやく「おとうさんとおかあさん… 死んじゃった……」と涙を流す。

 この日記は誰に向けて書かれたのかが明らかで、「あなたが20歳になったらあげようと思って 書きはじめました」と記されている。ただ、槙生の言うように、これが本当に朝に渡すために書かれたものなのかは断言できない。実里が生きていれば渡す選択も渡さない選択もできたからだ。「自分のために書かれた日記」なのか、「朝への手紙」なのか。それがもし「本当のこと」でなかったら? 母が亡くなってしまった今、朝にそれを知る術はない。結果として娘の手に渡った母の日記は、多重な意味合いを持つ。

 もうひとつ、母親の書いた日記が登場する。槙生の友人で元恋人の笠町氏の母親が書いた「弁当日記」だ。学生時代息子の弁当をつくった際の記録で、詳細にレシピが記されている。朝に持たせる高校の弁当を作る際の参考にと、笠町氏が槙生に貸し出したものだ。所々に息子への思いも記されている。笠町氏の父親は強硬な人物で家父長制とパワハラを練って固めてできたような描かれ方をしており、そんな環境の中で母親がした「書く」ことは、何かの意味を持つように思う。

 偶然なのかはわからないが、現状作中に登場する「日記」はすべて女性が書いたもののようだ。「日記」がもつ意味合いを考えながら、また再度作品を読み返したいと思う。

『地図にない場所』(安藤ゆき)

『地図にない場所』(安藤ゆき)を読んだ。表紙の淡いカラーが美しくて、思わず購入。帯に「人生終わった2人の、ご近所探訪記」とあるように、フランスのバレエ団に所属していたのに、足の怪我(後に作中で怪我は嘘で母親の死から、目的を失い自らの意思で退団したことが明かされる)か原因で引退した天才バレリーナ宮本琥珀と、自分の頭の良さに限界を感じ、苦労して入った進学校で行き詰まる中一の土屋悠人が主人公。


2人はマンションのお隣さんで、琥珀が帰国するまで交流はほとんどなかったが、回覧板のやり取りをきっかけに、少しずつ親交を深めていく。悠人は当初、自分の境遇から、「俺より終わってそうなやつが見たい」と、やじうま根性まるだしで琥珀を訪ねるのだがー、琥珀が思ったより生活能力皆無、面倒を見るうちに生まれた琥珀との交流に、「家」、「学校」にはない安らぎをおぼえていき、ふたりの都市伝説探しが始まるーー。というのが、大まかなストーリーだ。


作中のテーマになる「地図にない場所」、「イズコ(何処)」は、悠人や琥珀の小学校で流行って都市伝説で、代々「イズコ探し」、地図にない秘密の場所を探すあそびのようなものとして受け継がれている。琥珀30歳)が小学生の頃にも、一ヶ月ほどブームがあり、悠人の代にも引き継がれていることを知った琥珀は、もう一度「イズコ探し」をしようと、悠人に持ちかける。


とにかく情報収集して効率的に!という悠人の提案は琥珀に退けられ、あてもなく、町をくるくる探検しながら、イズコを探すふたり。コンビニでアイスを買ったり、公園で食べたり。アイスを食べたこともない、という琥珀に驚きつつも、「日常の感覚が全然違うんだろうな」と、町歩きを楽しむ。


キュートな琥珀に目がいくが、発言はシビアだ。悠人の「天才」発言に対し、自分は天才じゃない、「才能以上のことをしてたの。バレエと引き換えに。何もかも全部捨ててやっただけ。」と話す。

(それを天才と言うのでは??とあとで悠人が気づくシーンがあるが)


そもそもがイズコ探しも、小学生の頃したかったけど出来なかったことのひとつで、「放課後はすべてバレエ」だった琥珀が、追体験をするような意味合いがある。


悠人の友達、すず(中学受験組)もバレエを習っているが、プロになるほどの才能はないことを自覚している。楽しいから続けたいが、親からは早くやめて、勉強に専念して欲しいと言われている。すずもまた、「無駄な時間」を奪われそうなひとりだ。


琥珀にとって、全てを捧げたバレエが、すずにとって(正確には、すずの親にとって)は、その逆のものになっている。それはあくまで贅沢な時間、いつか飽きる「イズコ探し」のようなもので、時期がきたら辞めるものだと。親の意思がわかっていても、すずはバレエを続けたくてたまらない。どうか続けて欲しいと思う。


一巻はふたりのイズコ探し町歩きまでが収録されている。二巻以降、琥珀とバレエがどう関わっていくのかー今からとても楽しみだ。

 

『スキップとローファー』(高松美咲)

今更ながら『スキップとローファー』(高松美咲)を読んだ。「石川県のはしっこのほう」から東京の進学校に首席入学した岩倉美津未(いわくら みつみ)とクラスメイトたちとの高校生活を描いた作品。

元子役で学校でも目立つくらいの爽やかイケメン志摩聡介、なんとなくコンプレックスがあってクラスに溶け込みづらかった久留米誠、過去のトラウマから自分に自身が持てず所々素直になれない江頭ミカ、「あらさまな美人」ゆえに恋愛ごとのトラブルに巻き込まれ、中高一貫校からわざわざ受験して入学した村重結月、そして東京でのみつみの保護者で叔母のナオちゃん(作中の言葉を借りれば「生物学上は男」)、を中心に話が繰り広げられる。

1巻ではみつみのドタバタ入学式、学校帰りのおしゃれカフェ、休日にみんなで渋谷などが収録されている。最初はちょっとみつみに対してキツいあたりのミカ、当初は志摩と仲良しなみつみへの嫉妬が原因かと思いきや、そんな単純なものでなく、2巻からのエピソードで彼女がかかえるトラウマ、そこから生まれてしまったコンプレックスが描かれる。


今ではおしゃれな高校生のミカだが、そこに至るまでは努力の道で…と、いうところなのだが、2巻のモノローグ、「とびきりの美人でもなければ 純粋でまっすぐにもなれない 私を一体誰が選ぶ?」は苦しかった。無理せずありのままで人に好かれているみつみへの憧れ、自分への自信の無さがあの態度の裏にあったのね!とわかる。


そして最新話(アフタヌーン2021年6月号)では、長年ミカが抱えていた呪いのようなものがとける…とにかく格好良いよミカ!と言いたくなるエピソードが収録されている。解けて、というより自分で自分を信じて乗り越えた、と言った方が良いかもしれない。


もちろん、この一歩を踏み出した背景にはみつみたちの存在は不可欠、特にナオちゃんはなくてはならないものだったと思う。(夏休みのお泊まり会でナオちゃんと交流を持ったミカは、かなりの信頼を寄せているようで、「ナオさん」と呼んでいる。)


地元を飛び出し東京で成功しているナオちゃん、5巻でそのバックグラウンドが描かれ、淡々とした感じがとても良かった。マイノリティーだった自分が、東京ではやっていけた、かといって故郷を完全には嫌いになれない…というような。閉鎖的な環境への嫌悪と海原が重なって…とにかく見開きが美しかったです。


途中ミカの話ばかりになってしまったが、このようにキャラクター一人一人に丁寧な掘り下げがされており、まだ5巻⁈と思えないくらい一人一人に愛着が湧いてしまう。高校生活をリアルタイムで振り返るような生々しさと、爽やかさが眩しい。


ほかにも志摩の友人で憎めない山田、あー、クラスに一人はいるよね!という感じのモテ方をする迎井、自分にも他人にも厳しい高嶺先輩など、魅力的なキャラクターが多数登場。ひとりひとりに名前があり、顔がない人物がいないよな…と思わせる素敵な作品です。



「生理」と漫画

自分用のメモみたいなものです。生理が出てくる漫画ってどんなのがあったかなあという。

 

・『ねりんぐプロジェクト』(藤田まぐろ、りぼんマスコットコミックス)

主人公は粘土版ピノキオ(のような感じ)。見た目は小学校高学年くらいの女の子。人間社会の世情に詳しくなく、「生理」が何かも知らない。友達の雛子ちゃんが(小学6年生、優等生)が落とした生理用ナプキンを拾い、彼女から生理の話を聞いたことで、悪意なく「雛子ちゃんは生理」だといクラスで言いふらす描写がある。(主人公はそれを恥ずかしいものと思っていない)

そのせいで二人は喧嘩、のちに主人公が謝り仲直り。まるまる1話分がほぼ思春期の生理をめぐる話。

 

・『こどものおもちゃ』(小花美穂、りぼんマスコットコミックス)

紗南が通う小学校で、男子生徒が女子生徒に水鉄砲で赤い水をかけ、「生理生理ー」と声をあびさせる場面がある。なお、このクラスは学級崩壊している。

 

・『水色時代』(やぶうち優、フラワーコミックス(「ちゃお」に掲載))

優子が小学6年生のとき、男子生徒がしょっちゅう「生理」で女子をからかう描写があり、優子が親友からナプキンをもらうところを見て、「河合のやつ生理だぜ!」と男子生徒が指さしたり、スカートに血がついているところを男子生徒に見られる場面がある。

 

・「いつものかえりみち」(さくらももこ、『ちびまるこちゃん』5巻に収録)

思春期の生理をめぐる話。中学生のももこが生理が来ないことに悩み、実は男なんじゃないか…と不安を抱いたり、「少しは女性らしくしなさい」と母親に言われたりしている。ある日突如生理になり、お赤飯を炊こうとする母親を全力でとめる。夕飯は自分の好きなハンバーグで、次の日からいつものかえりみちがどこか違うものに見えた、という話。

 

・『風光る』(渡辺多恵子、フラワーコミックス)

セイ(父の仇討のため性別を偽り新選組に隊士として入隊している)の足に血が伝い生理になる場面がある。母を早くに亡くしており、「生理」(作中ではお馬)の詳細がわからないため、セイの事情も知っている花街の遊女のところに身を寄せる。

生理の手当てを仕方などを教えてもらい、今後の対処方法として月3日は彼女のところに泊まる(外面上は遊女のところに外泊する)ことにし、事なきを得るという話。江戸時代の生理用品などが事細かに出てくるほか、その後も生理中なので入浴(お湯を汚すのはちょっと…)など細かな描写が登場する。

 

・『笑う大天使』(川原泉花とゆめcomics

史緒が腹痛で苦しみながら、「ひどいっっ 何で私が こんな目に……! お…男にも 生理があればいいんだっ!!」とモノローグでつぶやいている。このとき史緒は兄(生き別れ、これまでの生活環境の違いからかみ合わない)の仕事を手伝っており、おそらく気まずさのため「生理で苦しい」と兄に伝えられない状態。兄も苦しむ史緒の様子を見て、最初は仮病だと思い、次には「じゃあ食べ過ぎだ!」と発言している。

(このお兄さんは高校生ともなれば言いづらい買い物もあるでしょうから、と史緒に月々のお小遣いを渡しており、史緒も「よく気がつくお方だ」というくらいほかのことにはよく気がつく)

腹立ちまぎれの史緒の空想の中で、男性キャラクターが生理になっており、「となると子供 産むのも平等だな そんで運の悪いほうが妊娠するんだ」と背広姿のサラリーマンが妊娠している姿を思い浮かべている。

 

・『大奥』(よしながふみジェッツコミックス(「MELODY」に掲載)

世継ぎを望まれる将軍綱吉(作中では女性)がもう、自分には月のものが来ていない(閉経したので子どもは産めない)とひとり呟く場面がある。

 

・『好きって言えたなら』(巻野路子、フレンドコミックス)

友人には生理が来るなか、なかなか自分にはこないとあせる芽理。そんななか、自身が出場する競技大会の日に初めての生理が来てしまう。

 

・「オトメのハジメ」(渡瀬悠宇、『ありす19th』(フラワーコミックス)の番外編)

気になる男の子とおしゃれをしてプールで遊んでいたところ、突然初めての生理になり、足元に血が伝う姿を見られてしまう(そして視線をそらされる)シーンがある。その後、姉には「あんなの一人前の女になった証拠だって開き直んなって!」と励まされれる。

 

・『にがくてあまい』(小林ユミヲマックガーデン

作中に登場する高校生の女の子が、生理痛で保健室で寝ている描写がある。

 

 

・『不思議の国のバード』

立ち寄った日本の村で初潮を迎えた女の子が盛大に祝われるのを見て、イギリス人のバードが違和感をおぼえる話がある。

 

・『天国大魔境』(石黒正数アフタヌーンコミックス)

キルコ(脳手術で、姉の体に弟の自分の脳が入っている状態)が急に体調が悪くなり、自分でも何がなんだかわからないまま、町の女性に「生理でしょ」と言われ、おそらく鎮痛剤のようなものを渡される場面がある。

 

・『ハコヅメ』(泰三子、モーニングKC)

警察官の川合が、機動隊訓練に参加。生理2日目での参加だったため、黒いスパッツ、「箱舟かよ」というナプキン(タンポンは体質に合わず、訓練中はナプキンをかえることができないため。)、そのほか重装備で訓練に挑む回がある。訓練後、先輩警察官が帰りのバスで使えるよう、濃いピンクのタオルを貸してくれたり、その先輩も警察学校時代、同じように友人に助けられたエピソード(警察学校時代、下着からはずれ裾からおちたナプキンを友人が目立たないように拾ってポケットに入れてくれた)がある。

 

※思い出したら随時更新、修正します。

 

 

『女の園の星』(和山やま)

女の園の星』(和山やま)を読んだ。和山先生の女子校を舞台にした作品と聞いて、わくわくして購入。前作の『夢中さ、きみに。』は男の子が多かったので、どんな女の子が描かれるんだろう?先生の美しい筆致で…と期待に胸を膨らませながらページをめくった。

 

女子校に勤務する男性教師・星先生の日常を描いた作品。生徒たちのやりとりや、同僚の小林先生との交流など、学校での出来事を中心に話が進んでいく。

 

マンガ大賞2021でもノミネートされているし、(『カラオケ行こ』もノミネートされている)内容については改めて書くまでもない作品だけれど、やはり、いわゆる「女子校もの」とはちょっと異質な存在だなと思う。その点については、  

「最初は女子校あるあるにしようと思って話を聞いていたのですが、意外と女子校ってテンプレ的なものでもないなと感じました。よく女子校は「女捨ててる」とか「男勝りの子が多い」などと言われていると思うのですが、話を聞いてみると共学とそんなに変わりなく、人によるのかなと。」(「『女の園の星』和山やまが語る、独自の作風が生まれるまで」2020年9月「Real Sound」)

 

とインタビューで答えられていて、作品の中に漂う謎の心地よさはこれだったのか…と感嘆した。なんというか、「女子校」はこうでなければならない、みたいな強迫観念がないというか、思い込みがないというか、追い立てられる感じがしないというか。

同じインタビュー内で「あまり女子校をアピールするつもりはなくて」とも答えられていて、なんというか安心して読める。

 

独特のゆったりまったりした間がおもしろくて、ちょっと『笑う大天使』(川原泉)を思い出す。あれも女子校を舞台にした作品で(あちらは女の子三人が主役でその視点を中心に話が進みますが)きっとロレンス先生から見た史緒たちってこんな感じだったんじゃないかなあと思ってしまう。

 

笑う大天使』もそうだけれど、こちらも生徒たちがのびのびしている。きっと、先生たちからしたらのびのびしすぎなくらいのびのびしている。クラスで犬を飼いだしたり、その犬に「タピオカ」と名付けたり、日誌でイラストしりとりを始めたり…。

各自縛られず自由に日々を過ごしており、一方先生方も干渉しすぎず、生徒は生徒、教師は教師、と距離を保って一線を引いている。この距離感が心地良いなあと思う。

 

作品がおもしろい(読みながら変な声を出してしまった)のはもちろんですが、読み終わった後、なんとも言えないホッとする感じに包まれます。