『羅生門』(枝田)

 これこそがリメイクだと思った。後頭部が痺れるような暴力的な面白さ。もちろん、ただ芥川龍之介の「羅生門」の筋をなぞっているわけではない。この作品には下人はおろか、老婆も出ない。平安時代ですらない。だからこそすごい。舞台となっているのは現代の女子高である。

 「人間失格」や「こころ」と同じように「羅生門」もまた誰もが一度は目にしたことのある作品だろう。読んだことはなくてもタイトルを聞いたことがある、あるいは作品の概略は知っている。そんなものではないだろうか。「羅生門」は芥川によって本来の史跡としての意味以上に善悪を問いかける象徴としての意味を付与されているし、その名を聞けば京のきらびやかな街並みより老婆の佇む混沌とした街の方が想像に難くない。あるいは黒沢明の映画をイメージする人も多いかもしれない。それにも関わらず、この作品はまぎれもない「羅生門」だ。

 人気のある作品を映画化、アニメ化、漫画化、など違うメディアに展開していくと必ずと言っていいほど出てくるキーワードがある。「ただのコスプレ」「学芸会」等。服装や髪色、見た目をキャラクターに極限まで寄せてもそれだけでは実写化は成功しないことの裏付けだろう。例えば2020年より四期に分けてテレビドラマ化された『岸部露伴は動かない』は荒木飛呂彦による人気漫画作品だが、作中重要な役割を果たす特殊能力の名称が「スタンド」から「ギフト」に変更されていたり、原作では一話のみに登場していたキャラクターがほぼ全編を通して登場するものになっていたりするが、2023年には映画化されるほど人気のものとなっている。単純に見た目だけの話をすれば、主人公の露伴は緑色のヘアバンドが特徴だが、ドラマでは黒いものとなっており服装も漫画ほど華美ではない。「スタンド」を使用する際にキャラクターの背後に出てくる特殊能力を具現化したもの「スタンド像」もテレビドラマでは出てこない。それでも成立するのは岸部露伴という癖の強いキャラクターの芯をつぶさずにかつ違う媒体に落とし込んでいるからで、それが本当に難しいことだと思う。何といっても二次元のキャラクターを三次元に落とし込むのだ。作品への最大の敬意と深い読解力、そこから搾り出てくるものを再構成するのはどれほど骨の折れる作業だろう。それだけに、こんな風に言いたくはないけれど「成功」した「実写化作品」は本当に面白い。そして、そうした面白さをこの作品からは感じる。

 

 受験が終わって無事志望校に合格した主人公が担任に報告に来る。担任との会話の中で母を交えた三者面談を思い出す。誰もいないと思った教室で級友に遭遇する。要所要所で芥川の羅生門の本文が効果的に引かれている。

「わたしきっとあの人よりずっと幸せだよね」

「下人の眼は、その時、はじめて その死骸の中に蹲っている人間を見た。」

 主人公が奔放な同級生、馬場を見つめる時にリフレインするのは下人が老婆を見つけた際のシーンである。名門の進学校で大学に進学もせず校則も破る馬場は異質の存在だった。彼女は馬場のことを見下しつつ、内心はその生き方に憧れを頂いている。ここまでなら青春の一ページなのだが、その後の展開に驚く。冒頭の傘の描写、三者面談、担任との会話でばらまかれた不安の粒が導火線になって、一気に燃え上がっていく。淡々と進む中で静かな緊張感が張り詰めている。

 色々な読み方ができる作品だと思うけれども、絶望のようには思えなかった。平坦の言い方をすれば、清濁併せのむ強さを身に着けたというか、絶望しない方法を手に入れたというか。いずれにせよ主人公にはこれまで見ていたものとは違う景色が眼前に広がっていると思う。

 30数ページとは思えない、濃厚な時間だった。

 

※作中に金柑が登場するが、古のオタクとして花言葉を調べずにはいられなかった。なんと「思い出」らしい。天を仰ぐしかない。