『テロール教授の怪しい授業』(原作:カルロ・ゼン、漫画:石田点)

『テロール教授の怪しい授業』(原作 カルロ・ゼン、漫画 石田点)を読んだ。地方から都内の名門大学に進学した佐藤光一が、大学でテロリズムを研究するゼミに所属して…というのがざっくりとした内容である。佐藤は同学年の学生たち5人とすったもんだの末に(教授の手中にはまって)、ゼミに入ることになるのだが、このゼミの教授、ティム・ローレンツ教授がなかなか曲者でおもしろい。言うことは過激だが、ところどころ、ああ、大学のころこんな感じの教授がいたな…と思うような絶妙なフィクション加減である。

 

1巻で描かれるのは「誰でもテロリストになりうる」ということ。佐藤たち学生があっさりティム教授の手中にはまってしまったことを例に、テロリズムがなぜ起こるのか、テロリストとは何者なのかが語られる。テロは怖いもの、避けないといけません。でなく、その本質は何なのか、探っていくところがこの漫画の肝である。ティム教授ふうに言うと、相手のことを知るのは、脅威への「予防接種」につながるという。

 

テロリズムを取り上げた作品というと、思い出すのが2010年代のアニメ、『輪るピングドラム』(2011年、監督 幾原邦彦)だ。かわいらしいキャラクターに騙されて視聴したらえらい目にあった。作中には無差別テロを起こした「ピングフォース」が登場するが、ここで描かれたテロリズムは「与えられなかったものは、それを獲得するために世界を壊すしかない」という考えにとりつかれた「普通より不幸な人」が起こすもの、というように見えた。(事実、「ピングフォース」の具体的な背景は掘り下げられず、抽象的な悪の概念として描かれる)すなわち、テロリズムは遠い世界の話で、普通の人々が起こすものではないのだ、という思想の上に、「無償の愛」を描いたのが「ピングドラム」であるといえよう。

 

また、それより前の2000年代では『東のエデン』(2009年、監督 神山健治)がある。こちらの作品もおしゃれな絵に騙されて観たらえらい目にあった。作中冒頭に「迂闊な月曜日」といわれるミサイル攻撃によるテロが登場、アニメ版の最後は「数万単位の若者を拉致するテロ」を予告する、というテロで始まりテロで終わるという構造になっている。このテロ予告は「日本を変えるための」脅しであり、登場人物、滝沢朗は本気で日本を変えたいと思っている。つまり、ここで描かれるテロリズムは、「世界をよりよくするための方法」であり、「抽象的な悪の概念」を倒すための手段として用いられる。

 

このように立場、時代、あるいは作品によってここまで描き方が異なるのが「テロリズム」というものなのだろう。ただ、どちらの作品にも共通するのが、2000年代、2010年代においては、悪役/ヒーローが起こすもの(一般市民が起こすものではない)という描き方が主流だったが、この2020年代、『テロール教授の怪しい授業』では、身近な存在として、その「脅威」「から身を守るために」「学ぶ」必要があるとされているのだ。自分が加害者、被害者にならないために。読んでいて、『普通の人びと』(クリストファー・R・ブラウニング、谷喬夫訳)を思い出す場面も多々あった。

 

1巻は濃厚でおもしろかったが、先日出た2巻も、よりスピード感があってよかった。表紙を見たときに、2巻はひょっとしてあの話題が出てくるのか…と思ったが、やはりそうだった。カラーリングから何となく想像がつくと思う。