『違国日記』(ヤマシタトモコ)

日記を書くというのはひどく孤独で危うい行為だと思う。土佐日記和泉式部日記、断腸亭日乗、戦後日記、日本文学だけを取り上げてみても、日記に仮託された(あるいはそこから生まれた)作品は数多くある。半ばいつか誰かに読まれることを期待して――とまでは言わないし、いささか強引な話だとはわかっているのだが、自分が読むためだけに書かれた日記というのは、傷一つない貝殻を海で探すくらい見つけるのが難しいものではないかと思う。『違国日記』(ヤマシタトモコ)を読みながらそんなことを思った。


 「日記は 今書きたいことを書けばいい 書きたくないことは書かなくていい 

本当のことを書く必要はない」(『違国日記』1巻)

 槙生の言う「本当のこと」は、交通事故で両親を亡くした姪・朝を包む「ぽつーんとした」孤独だ。夕焼けが差し込む部屋の中、ペンを持ったまま固まる朝に槙生はそう言葉をかける。

 

「……日記なのに?」

「日記なのに 別に誰にも怒られないし」(『違国日記』1巻)

 

 槙生の言葉を受け朝は不思議そうに尋ね返す。槙生の言葉には、言外に「日記」は自分のためだけに書かれるものだ、という意味がこめられているようにも読める。小説家の槙生にとって書くことは「書かない人のほうが知らないんだね 物語なんて 嘘だってこと 食べたことない ごちそうみたいに思ってる」(『違国日記』6巻)でもある。

 日記、と付けられたタイトルのとおり作中にはいくつかの日記が登場する。その中のひとつで、この朝の日記と対になるものが、恐らく朝の母、実里の遺した日記だ。遺品整理の際、槙生が見つけ朝にわたすタイミングを見計らいながら保管していたものだ。(行き違いによりその日記を隠しているように思ってしまった朝は母の日記を盗み読んでしまう。)母の日記を読むことは、朝にとって大きな穴の底を覗き込むような作業だったという。自身の名前の由来、朝への思いがつづられたそれには「朝 お母さんはあなたが大好きです」と書かれていた。朝はそれを読みながらひとり「こんなの 嘘かもしんない わかんないじゃん なんでも書けるもん わかんないじゃん わかんないじゃん」(『違国日記』5巻)と呟く。

 槙生はいくらでも「物語」をつくりだすことができる。だが、ここでは彼女のほしがる「嘘」を与えない。「あなたのありようを見ていると あなたは愛されて育ったのだろうなとわたしは思う」(『違国日記』5巻)と語りかけながらも、日記に書かれた母の気持ちを代弁する真似はしない。その夜、朝はようやく「おとうさんとおかあさん… 死んじゃった……」と涙を流す。

 この日記は誰に向けて書かれたのかが明らかで、「あなたが20歳になったらあげようと思って 書きはじめました」と記されている。ただ、槙生の言うように、これが本当に朝に渡すために書かれたものなのかは断言できない。実里が生きていれば渡す選択も渡さない選択もできたからだ。「自分のために書かれた日記」なのか、「朝への手紙」なのか。それがもし「本当のこと」でなかったら? 母が亡くなってしまった今、朝にそれを知る術はない。結果として娘の手に渡った母の日記は、多重な意味合いを持つ。

 もうひとつ、母親の書いた日記が登場する。槙生の友人で元恋人の笠町氏の母親が書いた「弁当日記」だ。学生時代息子の弁当をつくった際の記録で、詳細にレシピが記されている。朝に持たせる高校の弁当を作る際の参考にと、笠町氏が槙生に貸し出したものだ。所々に息子への思いも記されている。笠町氏の父親は強硬な人物で家父長制とパワハラを練って固めてできたような描かれ方をしており、そんな環境の中で母親がした「書く」ことは、何かの意味を持つように思う。

 偶然なのかはわからないが、現状作中に登場する「日記」はすべて女性が書いたもののようだ。「日記」がもつ意味合いを考えながら、また再度作品を読み返したいと思う。